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当社のあゆみ

当社のあゆみ・水道の普及に貢献してきました 仲一商店街当時の社屋

もともと泉屋の屋号で大正時代に始めた最初の商売は、小規模の土木、建築業でした。また、「どうこ(銅壷)屋」とも呼ばれていました。「どうこ」とは火鉢の中に置き、湯を沸かして、燗酒をつくる民具です。銅板を加工してハンダ付けで製品も作っていました。

1977年(昭和52年)まで店舗は、浦和駅西口近くの仲一(仲町1丁目)商店街、通称「裏門通り」沿いにありました。
建築関連の仕事でしたから名前に「工務店」が入っています。現在でも社名は変わっていないので、建築会社と間違えられてしまうこともときどきあります。


当時のショールーム

さいたま市水道局の前身「埼玉県南水道企業団」は、昭和9年に「埼玉県南水道組合」として発足しました。
  当社の創業者 今泉幸太郎は、前述の埼玉県南水道組合が、昭和12年3月1日に「自己流末装置施工者」として民間業者に請け負わせる旨の告示にともない資格承認を受けました。

民間に門戸を開くまで、水道工事は役所にしかできませんでした。
当時、承認を受けたのはほとんどが東京業者だったようで地元業者では、さきがけでした。


戦前は、井戸が自宅にあったため、おいしい井戸水がただで飲めるのに、わざわざお金を払って水を買うことには抵抗感があり、なかなか普及しなかったようです。昭和20年代後半になり水道が普及し始めて、わが社では、水道工事を商売の柱としました。

水道工事店として初期に開始した会社が20社ほどありましたが、今では、1/3しか存続していません。さいたま市内では、昔からの水道屋さんのひとつです。

現在は、水道に関連する給排水給湯の工事、道路に埋設されている水道本管(配水管)工事、また空気調和設備、換気設備工事等の工事をさいたま市内と埼玉県南部エリアを中心に工事を行っています。